いきなり著者の話で恐縮ですが、ぼくは子どものころに4年間、大人になってから約4年間「習字」を習ってきました(現在進行形)。
「習字やっててほんとに良かった」と思った。
そして自分の子どもに習わせたい習い事ダントツ1位が「習字」。
今回はなぜ子どもに「習字」をおすすめするのかという理由を話します。
こどもの頃から「習字」を習うメリットは多いです。
美文字が書ける価値
整ったキレイな字が書ける場合、特に大人になってからのメリットがあります。
大人になってから字を練習しても遅くはないですが、練習に割と根気がいる。やり方によっては美文字が書けるようになるまで時間がかかるんですよね。
なのでできる事なら子供のうちから習わせた方がいいと思う。
集中するクセ
習字の基本はお手本となる字を真似る書写。
真似て字を書くという行為はかなり神経を集中させます。
子供のころに鍛えられた集中力というのは一生モノ。
勉強もスポーツも基本的に物事に打ち込む集中力が要ります。
子どものうちから何かに打ち込む集中力を養うには習字はもってこいの習い事です。
習字の最大のメリットと言っても過言ではありません。
手先の器用性は脳の活性化につながる
字を書くことは指先を動かすため、手先の器用さが身に付きます。
この手先の器用さは実は脳の発達と非常に深く関係しています。


https://ja.wikipedia.org/wiki/
脳神経外科医のワイルダー・ペンフィールドが作った「ペンフィールドマップ」では指先が脳の大部分を占めているのを示しています。
つまり指先を動かす事と脳の運動は密接にかかわっているのです。
またAIやロボットが急速的に発達している時代で、未だにロボットが苦手とする分野が「細かい作業」です。
指先の器用さはロボットにはまだまだ難しい領域なので、貴重な特技として将来身を守ってくれます。
例えば針の穴に糸を通したり、プラスドライバーをねじ穴に当てたりといった細かい作業になると途端にロボットではまだまだ難しい分野なのが繊細な作業。
ロボットが人の作業を代わりにやってくれる日は来つつありますが、人間にしかできない手先の器用性を伸ばすメリットが習字にはあります。
美意識の向上
習字は美的センスが養われます。
最初のうちはお手本を真似して書くだけの作業ですが、練習していくうちに段々どう書けば整った字になるのかが体でわかるようになります。
習うのが早ければ早いほど如実に表れてくるのが習字。
で、この美的感覚は大人になってからかなり重要。
昔の人より現代人のほうが「美意識が高い人」が多くなったような気がしませんか?
実は現代社会では美的感覚がかなり重要視されています。
例えばファッションにしてみても広告にしてみても生活の品にしても、段々おしゃれになってきていますよね。
昔のおじさんより現代のおじさんのほうがファッションセンスがいいな、って思うんですよね。
時代によって流行が異なるのは当然なのですが、芸術的センスが物を言う時代になってきたんだろうなと思う。
これは別に不思議な事ではなくて、世の中に生み出される物の数が昔と比べて圧倒的に多いのが原因。
誰もがデジタルメディアを使って簡単にイラストやデザインを作ったり発信したりできる社会になった事によって、世の中には大量に物が溢れかえりました。
人はその中で本当にお洒落なもの、センスの良いものを選んできたので、美意識が高くなっていったんですね。
つまり、目が肥えてしまったということ。
そんな世の中でちやほやされるのは残酷にもセンスを持つ者だけ。
人はダサいと思われることを非常に嫌う生き物ですよね。
習字はひたすら字をキレイに書く訓練をする作業です。
子供のころから美意識を身につけておくと大人になってからの意識感覚が強くなります。
他人との差別化による価値
例えばの話。
雰囲気も実力も全く同じ能力の人材が2人いた場合、ふと履歴書を見比べたとき「履歴書の字が誰が見てもキレイな人」と「お世辞にも上手いとは言えない字の人」がいた場合、あなたならどちらの人材を採用しますでしょうか。
「キモイ字やな~面白いからこっちにしよう」的な変わった面接官を除いて、前者の方が好印象を残すのは言うまでもありません。
人間は中身だ!と口では言うものの、人って結局、残酷にも美しさを重要視する生き物なんですね。
これは「美的センス」と関係しますが、センスがある者がチヤホヤされる社会はこれからも続きます。
人にはできない特技がある人はそれだけで一目置かれます。
それがセンスを問う物ならなおさら。
結局人間はキレイなものには弱いのです。
手書きで文字を書く風習がデジタルに置き換わる社会で「字がきれいに書けること」は間違いなく他人とは一線を画くす強みになります。
昔と現代の「手書き文化」における違い
手書き文化を「昔」と「現代」で比較すると、圧倒的に文字を書くという行動が減ったことは言うまでもありません。
手書き文化が減ったのは、スマホが爆発的に普及しだした2010年頃、ワープロやパソコン、携帯電話が普及したころから加速的に始まりました。
ぼくが小学生だった約25年前はちょうど携帯電話が増えだしたころ。
でも、「習字」に通っている同級生はまだ(珍しくないレベルで)クラスにちらほらいました。
それから25年経った現代で習字を習っている子どもはどれほどいるんでしょう。
現在ぼくが通ってる書道教室には小学生が一人しかいません。あとはみんな大人。
現在、幼稚園や小学生の子どもがいるようなぼくらを含む親世代は「習字」という習い事が大して珍しくない時代だったはずです。
それが今では珍しい習い事になったと言えます。
教室の減少と美文字の価値
まだまだ子供の習い事として上位にランクインしている「習字」ですが、書道人口・規模は減りつつあります。
市場規模を比較した場合、1994年が840、2014年が550(単位は億円)となっていてかなり減っているのがわかりますね(参考: https://udoyoshi.com/archives/1847)。
2021年現在ではさらに減少しているはず。
それだけ手書きで美文字が書けるのは貴重な存在になってきているという事です。
ぼく自身子どものころに習字を習っていた身として言えることは「美文字は大人になってからのメリットが大きい」ということです。
自分で言うのもあれですが、おかげで人よりそこそこキレイな字が書けるようになりました。
子供のころにメリットを感じることは少なかったですが、大人になってから感じます。
人生を決める採用試験に提出する履歴書、結婚式での芳名帳への記帳、大きな買い物をした時、、、大事な場面でこそ「習っていてよかったな」と感じます。
親に感謝です。
あとは割と自信が付くというのもありますね。
堂々と字を書けるのも良いです。
人前で字を書くのに全く抵抗がないというか、逆に書きたいくらい。
逆にデメリットがなんかあるか考えたのですが、もはやありませんでした。
(あるとするなら下手糞な人からひがまれるくらいかな。。←言い方悪い)
子どものころに身につけた美文字技術は一生モノです。
この特技は大人になってから価値を十分に発揮し、自分の身を助けてくれる。
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